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08/28 2006 23:37 |
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[小論文1]
陪審制について論じなさい。 [小論文2] 下記の資料は、1994年の選挙制度が政党のあり方に及ぼした影響を考察した文章の一部である。この資料を読んだ上で、日本の政党制の特徴及びそのような特徴をもたらした要因、将来の展望についてあなた自身の考えを述べなさい。 (資料) 選挙制度改革の時、それまでの中選挙区制は、「政策論争がない個人的なネットワークキャンぺーンになって金がかかる」「派閥が強くなる」「これが自民党の一党優位を維持させる根本的原因になっている」と非難されていた。そして、中選挙区制を小選挙区中心の制度に変えることによって、政策を争う二大政党制が実現するという理想が語られたものである。 しかし新選挙制度は、当初は意図もせず、また、予想もしなかった結果を生み出した。「後援会中心の選挙キャンペーン」は、なくなるどころか、ますます激しくなった。いわゆる「ドブ坂選挙」は一部の例外ではなく、常識として定着しつつある。政党間の政策の違いも、あまりはっきりとはしていない。むしろ各政党は、支持者が逃げるのをおそれて、あれもこれもと間口を広げた結果、以前よりも他党を似通った商品を店先に並べるようになった。もはや自民党の単独政権には戻らないだろうが、だからと言って、野党が育っているわけでもない。分散した野党が一致団結して挑戦しない限り、二大政党制の展望は拓けないだろう。 一言で言うならば、選挙制度改革の当初の理想と現実の間には、かなり大きなギャップがある。 この「理想と現実との距離」をどう解釈するかによって、日本の政治についての見方が変わってくる。 ある人々は日本の政治文化にその原因を探そうとする。日本の政治文化はかなり独特なものだから、制度を変えたところで、日本人の考え方や行動原理が変わらない限り、政治の現実も変わらない、と考える。もちろん、文化的な規範や伝統などが人間関係にある程度関与することは否定できない。しかし、分析の道具として、文化論を優先させるのは適当ではない。文化という概念は人によって定義が違うし、不確定な部分も多い。日本人には独特の文化を共有する集団心理があるから、日本人だったらみなに多様な行動様式をとるかというと、そうでもない。また日本の文化がユニークだからという主張にも無理がある。それではほかの国でも同じことが起きていることを説明できないからである (出典:朴喆熙『代議士のつくられ方』文芸春秋) 【2006/09/0111:40】||ひげ#5cec836c62[ EDIT? ]
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