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阪大 平成15年 専門 「小論文1」 昨年9月11日の同時多発テロ、その後のアメリカ合衆国による「テロとの戦争」など、この一年間は、「力」と「力」の対立を、目にしたり耳にしたりすることが多かったのではないだろうか。人間が持つ物理的な「力」について、どのように考えることができるだろうか。少なくとも二つ以上の考え方を述べた上で、あなた自身は、それらの考え方について、どのような評価を持つか、簡潔に述べなさい。 「小論文2」 以下の文章を読んで、これまで個人のマナーやモラルの問題とされてきた行為を、法律や条例で禁止することについて、身近な事例に言及しつつ、あなたの考え方を述べなさい。 「東京都千代田区が制定した“歩きたばこ禁止条例”が波紋を広げている。路上禁煙地区での喫煙と吸い殻のポイ捨てを禁じ、全国初の罰則規定で悪質な違反者に最大で2万円の過料を科すこところがミソ。他の自治体に追随の動きがあるほか、民主党が同じ目的で国会に提出した軽犯罪法改正案をめぐる論議にも影響を与えそうだ。 “罰金”の是非はともかく、条例が目指す歩きたばこ追放に、真っ向から反対する向きはいないだろう。分煙が進む折、人ごみで紫煙を吐き散らすのは自分勝手に過ぎる。衣服を焦がしたり、火に触れるトラブルも多い。94年1月には千葉県のJR船橋駅で、母親に手を引かれていた3歳の女児がまぶたにやけどを負っている。 『もはや個人のマナーやモラルを求めるだけでは限界。罰則規定で抑止効果をあげたい』とする同区の説明ももっともだ。人の良心は期待できなくなったと実感するし、下手に注意すれば逆に起こられそうで怖い。歩きたばこを「違法行為=罪」とすれば、愛煙家の自粛が進み、注意もしやすい。 ついでに携帯電話の乱用処罰法、満員電車でのヘッドホンからの“シャカシャカ音”漏出禁止条例……といった法令もできれば便利だと思わないわけでもない。 しかし、禁止法令や罰則規定では、問題の根本的な解決はあり得ない。法令で取り締まれば、法令で禁止されていないことはやっていい、と抜け道を探る風潮が広がりもする。同区を歩いていた愛煙家が区境を越えた途端、たばこを吸う様子を描いた漫画が早くも登場したのも、そうした認識が人々にあればこそだろう。 改めて言うまでもなく、法令や規則でがんじがらめにされた社会は住みにくい。しかもなんでも法令に頼れば、人は法令で定められた義務しか果たさなくなる。シルバーシートができたら席を譲る人が減り、シルバーシートまで若くて元気な人に占拠されるようになったのは裏目に出た好例だ。 条例化の抑止効果や良識派のいら立ちは十分に理解できる。それでも、法令依存体質にはそろそろ見切りをつけようではないか。迂遠(うえん)でもあきらめずにマナーやモラルの向上を目指し、家庭のしつけと学校教育を根本から問い直すところからはじめよう。 それでなくても“なんでも条例化”は加速ばかりだ。青森県ではねぶた祭りから乱暴な踊り手を締め出すハネト防止条例、群馬県新治村では野猿、神戸市ではイノシシへの餌付け禁止条例、大阪府では金属バットの持ち歩きを禁止する条例……といった具合だ。 どれももっともで制定者の意図はよく分かる。だが、このまま進むと電車内の「放屁(ほうひ)禁止条例」まで作られて、法廷で故意か過失かが争われる事態にもなりかねない。笑い話ですむうち“罰則頼み”の風潮に歯止めを掛けたい」 (2002年7月8日毎日新聞社説「歩きたばこ禁止条例 放屁禁止令も必要?!」)